「建築に対する愛が無い」と、外も明るい昼間から社長に怒鳴られる.同じチームの上司のちょっとした段取りミスを、見過ごしたことに際してこの言われよう.
怒られるのは一向にかまわないが、建築に対する愛を否定されるとは.なんだか腹が立つ.この言い方って評価ではなく、人格否定.せめて「建築に対する愛が感じられない」という言い方にしてほしい.
しかしふと考えると、自分自身、もともと建築に対しての"愛"があるのだろうかと疑問を抱く.私にとって建築は単なる興味の対象であって、今の自分の価値観のなかで、未知の可能性を秘めている分、もっとも面白いことだと思っているだけ.建築の優位性は揺るがないけど、なくなって困るものかと言われたら疑問.
けど不思議なもので自分ではなく、他人の中から「建築」という概念が消えることを想像すると畏怖の念を抱く.
…結局のところ、わたしにとっての"建築"の位置づけとは、自分の興味に社会的意義を付け加えるための、丁のいい言い訳ではないのかという極論に達する.
なんだか寂しいけど、どこかすっきりとした気分.
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ブログのデザインを変えました.特にコンセプトは無く、シンプルにまとめたつもりです.
どこか不具合があったら、教えてください.
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